未定

思ったことをただ記録する場 ただし発信したいお話

くるま

自動車学校に通い始めました。


ふつうに移動手段が欲しかったのと、


青春っぽく友達とドライブとかしてみたかったのと。




…怖すぎる。(笑)


適性検査の結果が悪かったのはさておき、

脱輪するわ逆走するわで危険過ぎるよ自分


という気持ち。



卒業するまでには安全運転できるようになるといいな、なりますように。

つめつめした末路

最近はいいこともたくさんあったけど、溜まってきたから先にモヤモヤを吐き出しておこうと思う。

 

 

私は予定を詰めすぎる癖がある。

今に始まったことではないんだけれど。

 

 

自分の中では小学生の時にいじめられたのが原因なんじゃないかって思っている。

今授業でいじめについても勉強したから、軽々しくいじめなんて言っていいものじゃない程度に軽いものだったし、客観的な基準に基づけば子供の喧嘩とか、嫌がらせとか、その程度に扱われるものなんだと思うけど。

まあ私にとっては自殺が頭をよぎる程度には辛かったっていう、それだけの話。

 

話を戻すと、誰かと一緒にいて何かをしていないのが怖かった気がする。

友達がいないから誰とも遊んでいないんじゃないか。

嫌われているからこんなに暇になっているんじゃないか。

必要とされていないんじゃないか。

居なくなったらみんな嬉しいんじゃないか。

 

なんて。こんなループによく嵌る。

 

何かに没頭していないときは、人に会わないと嫌なことばかり考えていた気がする。

こんなのは後から脚色された記憶かもしれないけど。

 

自分がかわいそう って思っているうちは心理的に逃げ場を作れて楽になれるからね。

 

 

そんなわけで、私が私を守るために、それをここでは理由にしておくけど。

そういうわけで忙しい方にどんどん進んでいった。

 

新しいことをするのも、新しい人に出会うのも、新鮮でワクワクして楽しかった。

未だにこの感覚は大好きでやめられないっていうのはある。

あとは逃げられる場所が複数できるのも、実は一因だったりして。

 

深入りしようとするとまた”あの”思考のループに嵌るので、深入りしないようにしたり、考えすぎないように頑張った。逃げた。嫌なことは処理はするけど見ないように、向き合わないようにしていった。未だにする。じゃないと保たないって思ったから。

 

ストレスがあってもそれでなんとか乗り切ってきたと思う。思ってた、うまくやれていると思いたかった。

 

 

 

最近忘れ物が激しい。遅刻が多い。場に合わないことを言う。寝坊する。物をなくす。

 

ひどいもんだ。

 

悪いことしている自覚はある。

だからこころがどんどん悪循環し始める。

 

ただ、一人で生きてるんじゃなくて。社会に生きているわけで。人に迷惑はかけてられないから。

 

だからきちんと処理することになる。

しなきゃいけない。

わかってる。

頑張る。

そして無能な自分を見つけて死にたくなる。

 

どうやったら自信が持てるのか、自分に信頼を寄せてあげられるのか。

全然わかんない。できる人が羨ましいなって思う。

そういう風に自信がある人は大体かっこいいしね。

私の周り、みんなかっこいいよ。

 

 

忙しそうだったあの先輩さんもきっと、私より時間管理が上手くなったんだろうな、なんて

そう思うと少し胸が痛む。

 

 

生活習慣の前に、やるべきことを見直す必要があるかもしれない。

 

 

 

 

 

ごめんなさい鬼のごとく病みました。

文章の脈絡もないし、発信する文章としては最低ランクだと思う。

 

ここまで読んでくれた人、不快にさせてごめんなさい、、、

 

つぎからもっと楽しいことを書きたいな。

楽しく生きたいね

FSP

表題の「FSP」っていうのは、私がこの前参加した13日間の海外研修プログラムです。ファースト・ステップ・プログラム(First Step Program)の頭文字でFSP

このブログは私が私のために書いてるから本当は説明は必要ではないんだけど。

 

さて、何を書くかっていうと、何も決まっていなくて。

少し日は経ってしまったけれど、できるだけフレッシュな感性を残しておきたい…という感じでしょうか。それプラス思考する時間があったと考えるとある種いい時期かも。

 

 

というわけで以下羅列。

・仲間がいてよかった。

メンバーのJが言っていた、私はメンバーを愛しているし、愛する人のためなら(これは時間的な話だったけれど)危険は犯さない という話が私は実はかなりすきだった。思いやりってこういうことなのかなと思った。

助け合いーー私は割とこの言葉をあてにしていないタイプであった。過去形で書いたけど今もその節はある。

自分が助けても恩は返ってこない と思って相手を助けることの方が多い。プラスにもマイナスにも取れる言葉だと思うが、私自身両方の側面を受け止めているのでそんな感じで。

今回のFSPは、みんなが他の人のことを本当に気にしてあげて、助け合っていくという姿勢があったから、助け合いやすい環境ではあったのかもしれないが、(私の考える限り)誰もメンバー同士でいざこざがあったとかで嫌な思いをすることなくトラブルに対処できなのではないかと思う。

ちょっと次の項目と内容被っちゃった。

 

・心の温かさ とは

見せかけの気遣いとか、少し逸れるけどマニュアル通りのすごく丁寧な応対も、日本にいればそこら中に溢れかえっているし、確かにされて嫌な気持ちになったことがある人はいないと思う。でも、それはほんとうに人間らしいあたたかい気持ちなのか?

店員さんとか働いている人たちが、日本では考えられないくらいルーズ。でも、人間らしい。しかもみんな優しい。アジアのメンバーといるときはもちろん心穏やかなんだけど、今ここで同じコミュニティに属している人より融通がきいて親切な人が多いんじゃないかと感じてしまった。

 

・自分、喋りすぎ。頭固すぎ。

移動中のバスの車内で、あるメンバーとちょっと真面目にお話した。彼のことは尊敬しているし、何を考えているのか、どれほど考えているのかは前々から興味があった。

この機会にちょこっと彼の頭の中を除けたような気はする。でももっと知りたい。

最終日睡眠を阻害したのは結構本気で反省しているが、またゆっくり話す機会ができたらいいな。

ここで小見出しに戻ると、彼と話している最中につい性格に関する自己分析をし始めてしまって…彼の話聞きたいんだから大人しくしてろ自分 とか 頑固であることを否定されなかったことで焦るなよ分析したのは自分だろ とか 色々な感情が渦巻いていた。この時の複雑な気持ちは、きっと、今後素敵な大人になるためには、忘れてはいけない。

 

・キャリアって、何?

家に帰ってきて、親に怒られた。私は随分偉そうにしているらしい。頭がいいからって調子に乗っているらしい。自覚はない。

最悪の状況だ。よく見る世の中の嫌な社会人像ではないか!

…正直ほんとうにそんなつもりでなかったから、言われた時も今も書きながら涙目。結構きついけど、(以下建前)受け止めないといけない(でも本気で思う部分でもある)。

 

話は変わって、今年の後期に感じの良い教授に出会った。いつも笑顔で、ゆっくりわかりやすくお話をしてくれる方であった。しかしかなりのお偉い方であるということも先生のお話から知った。

何だろうあの穏やかさは。えらいのに威張らない人は素敵だなあ。

こう感じていた。

 

話を戻そう。

今回FSPでのご講話者様方も、教授ほどではないが、そういうタイプの人が多かったような気がする。驕らない、と言いますか。確かに自分の仕事に自信や誇りを持っていることは感じられるのに。

 

さて、では、キャリア とは。

地位だけで語れないということには薄々気づき始めたつもり。

 

 

 

とりあえずこのくらいでしょうか。

 

最後に一つ。

 

「世界中の人がみんな他の人に優しくすれば、本気で世界は平和になると思う。」

 

途中の”彼”がこのような趣旨の話をしていたんだけど、これは私の考えていたことを見透かされたかと思った。びっくり。本当に私自身そう思っている。

優しくできない人がいるから、人間関係や、話を拡張すれば国家間で揉めるんだよ。思いやりを持ってみんなでしあわせになろうとすれば、なれるんじゃないかな。

なんてね。

まず自分から、頑張らないと。

 

偉そうなんて言われない人間にならないと。

人を不快にさせる人間になりたくない。

 

 

セカンドステップに向けて、そろそろファーストステップを踏み台にできるように心持ちを変えていこう。

これは自分との約束。

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最高の言い訳ができる制度

日付を見れば私が何のことを言いたいのかわかる人もいるかもしれませんが

 

そう、バレンタインデーについてです。

 

バレンタインデーとはそもそも

バレンタインデー Saint Valentine's Day 〔バレンタインは,三世紀にローマで殉教したキリスト教徒の英語名〕聖人バレンタインの祝日。2月14日。

(『スーパー大辞林』よ


り引用) 

という日らしいです。この続きに、

古代ローマの異教の祭りと結びついて,(日本では女から男へ)愛の告白や贈り物をする習慣がある。

 という記述もありました。

 

要するに単に聖人バレンタインの祝日のはずです。

何故日本人はこんなにもバレンタインデーに盛り上げるのでしょう。元来チョコレートは一切関係ない行事なんですが。と、思ってしまいます。

 

ゴディバも言ってるしね。「日本は義理チョコをやめよう」って。

これはプラスな側面の話をしているんだけど。

 

ただ、私はこんなバレンタインデーがすきですし、

義理チョコという文化もすきです。

 

義理チョコ文化の何がいいかって、①すきな人に「義理チョコ作りすぎちゃったからもらってくれる?」って言える ②普段お世話になっている人にお礼ができる こと。

 

今回はブログの趣旨的に②の話をしようと思う。

 

もともと私は人にものをあげるのがすきなタイプだと思っている。

人にお金を使う方が、自分にお金を使うより幸福になる ということは心理学的に証明されていることではあるけれど、個々人の考え方次第でその度合いも変わるでしょうね…

 

というわけで、私の話をすれば、何かにつけて人にお菓子や何かプレゼントしたいわけです。お世話になった先輩、仲良くしている友達、自分に関わっていて私自身が好意を持つ人には普段からお礼をしたいわけです。

 

でもそんなにお礼をしていたら、(実際はそんなことないのに)お金持ちぶってる人、いい人ぶってる人のように扱われるなどなど…いいことがない(ような気がする)。

 

しかし!ここでバレンタインデーにかこつければ、普段のお礼で気兼ねなくチョコレートをあげることができるわけです。素敵。

 

もっと男女の壁なく、感謝を伝えられるようになればいいと思うし、

 

私の目標「食べ物で人のQOLをあげる」ことの一手段であるから

 

私はなんだかんだでこの行事がすきなんだと思う。

 

 

今年も本気出したから、欲しい人は声かけてね。

残ってたらあげます。

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きょう2/14に恋愛は必要ではないと思うよ。あれば楽しいかもしれないけど。

ハッピーバレンタイン。

書くということ

自分はとてもいいご縁に恵まれていると思う。

最近特にそう思う。

 

そのご縁に関係するのだけれど、私の尊敬するふたり、いや、三人かな。彼 彼女らの影響で、書くということを始めようと思う。

 

今までも自分の思うことを書こうかと思うときは何度もあったし、そういうわけで自分の意思をTwitterその他SNSに書き綴ってきたわけですが、きちんと自分の納得がいく形で きょう今このとき の気持ちを遺しておきたいと思ったのです。

 

どうやら将来の自分のために書くことになりそうです。

 

 

というわけで、私が尊敬する人について書き記しておこうと思う。

一人目、白水桃花さん。

私は長らく彼女のファンである。彼女の作品はどれも好きだけれど、格別に彼女のとるポートレートと、彼女の書く文章がすき。おそらく彼女が丁寧に作品を生み出しているからだと思う。丁寧に生きる の記事を読んで以来特にそう感じている。

憧れの他人のようになりたい と思うことが正しいかどうかの議論を横に置いておけば、私は彼女のようになりたいと思う。

 

二人目、ハルカ先輩(仮名)

出会って半年なのに、これほど私の好奇心を掻き立てる人も少ないのではないかな。いろいろなことを知っていて、説明が懇切丁寧で、穏やかそうだが確実に自分の中に熱い、確固たる意志を持っている人。慣れ親しんだ人には柔らかい表情を見せる人。自称ごちゃごちゃ考えるのがすきな人。

この先輩の何がすごいって、思考していること、感覚を研ぎ澄ませていること、ブレないこと、感情を文字に起こしていること。

私の語彙・文章力では先輩の美点を表現できないけれど、これほどまでにただただ尊敬できる人に出会えた自分はほんとうにラッキーだと思う。

 

三人目、同級生。誰とは言えない。

ほとんど直接話したことないからね。

私がやってみたかったこと、何かと言い訳して逃げていたこと全てをやっているように見える。このように「書く」ということをしている点も含めて。

彼とは高校時代に話せなかったことが本当に悔やまれる。SNSを駆使して今後必ずコネクションが欲しい。話したい、話を聞きたい、何を考えているのか知りたい。

ちょうど同い年の彼への純粋な尊敬と少しの嫉妬は私の行動の原動力であると思う。

 

 

せっかくのご縁は大切にしていきたいですね。という話。

自分の人生において予定変更があったことにより生まれた出会いなので、神様には感謝しないといけないと思います。